
あめの歴史-日本編-
今でこそ日常的に味わえる飴。いつ頃、どんな役割で誕生したかご存知ですか?
今回は意外にも歴史の古い、日本の飴について探ってみましょう。
日本書紀によるとあめが誕生したのは、千年以上前と言われています。現在はお菓子として定着していますが、かつては甘味料として主に供物に使われていました。その甘味料とは、ツタの一種「あまかずら」を細かく刻み、滴下する液体を煮詰めてできた甘い味の水のこと。「あまい水」それが次第に、あま水、あま味、と呼ばれるようになり、最終的には現在の「あめ」という言葉が生まれることとなりました。つまり、あめの語源は「甘い」なのです。
平安時代には、甘味料としてのあめが作られるようになり、貴重な栄養源として重宝がられました。その後、室町時代に砂糖が輸入されてからもしばらくは、高級な甘味料として使用されたと言います。
飴が固形になったのは江戸時代のこと。高級品である砂糖でしたが一般に手の届くものとなり、水飴に白砂糖を混ぜた加工飴、求肥飴・翁飴・有平糖が誕生。特に有平糖はあめ玉の原型となる種で、飴の過渡期を語るのに欠かせない存在です。
そして、京都や大阪からあめが江戸に伝わると、細工技術が向上して種類が豊富になり、独自の文化が発展。「飴売り」と呼ばれた行商人が縁日などで、奇抜な格好と独特の呼び声、パフォーマンスで飴を売り歩きました。浅草寺で千歳飴が売られるようになったのもこの頃です。行商人によって全国的に菓子として広く定着した飴は、子どもたちの人気を集めたそうです。
遊びゴコロのある行商と、口のなかいっぱいに広がる甘みは、今も昔も変わらない「飴」の味わい深さなのかもしれません。
■求肥飴(ぎゅうひあめ)
平安時代に唐から伝わった求肥はかつては色が黒く、牛皮に似ていたため「牛皮」「牛肥」と呼ばれていたのが名の由来。蒸した白玉粉と白砂糖、水を混ぜて練り固めた餅のような弾力のある飴。
■翁飴(おきなあめ)
かつては粟を使っていた。現在ではもち米を主原料に麦芽と湯を混ぜ合わせ、もち米から水あめを作り、固形化する。上品な琥珀色とソフトな口当たりが特徴。
■有平糖(あるへいとう)
ポルトガルから渡来した南蛮菓子のひとつ。白砂糖と水あめを煮詰め、美しく練り固めた飴で、現在では伝統工芸菓子でもある。金平糖(こんぺいとう)と共に日本へ輸入された、日本で初めての硬い飴。